2004年4月日記帳



[30日(金)] 道州制の推進で何が問題か?

 道州制という言葉は大分使われるようになったが、それでもまだ関心の薄い人が多い。そこで現在道州制推進上の問題点5ヶ条を考えてみた。内容は省略してタイトルだけ挙げてみる。
T) 道州制という言葉の概念の不明確さ
U) 基礎的自治体となるべき市町村の合併が進まないこと
V) 州の区割りに幾案もあり、結論がでていないこと
W) 中央省庁の対応が不明確なこと
X) 道州制実現のステップが不明確なこと

 その次に道州制早わかり5ヶ条を作ってみた。内容は別にして項目だけ列挙してみる。
T) 道州制って何のこと?
U) 何故道州制にするの?
V) 国の形はどう変わるの?
W) 道州制にはどんなメリットがあるの?
X) 道州制による地域の自立を妨げているのは誰なの?

 ゴルフは毎週日曜日が原則であるが、今度は連休にあたり、道路も混雑が予想され、現役の方々に遠慮してゴルフは休もうかと思っている。そこで今日は沼部の川縁の練習場に行って練習をしてみた。少し向かい風だったが、サンドウェッジから8番アイアンまではまあまあの出来であったが、7番アイアンとその上のウッド(11,9,7,5,4,1番)のいずれも風に流されたりして芳しくなかった。やはり早く身体の柔軟性を取り戻さなくてはいけないと痛感した。

 更に久しぶりにクラビノーバ(電子ピアノ)に向かってみた。あまり速くない曲は何とか指が自然に動いてくれたが、少し速い曲は途中でつかえてしまい、かつて録音した時のようには弾けず、これからしばらく又練習が必要のようである。しかし聴音セットを使うことにより、外部に音を出さずに弾けるし、気分転換にはよいので、これから又時々弾いてみたい。ゴルフと同様次第に下手になるとは思うが、どこまで回復できるか試してみたい。


[29日(木)] 連休はじまる。

 からっとした良い天気で連休が始まった。緑の日などと言わずに早く昭和節にすればよいのにと思う。多摩川縁は無料の公園なので若者を中心に大勢集まって休日を楽しんでいた。今年は海外へたしか80万人も多くでかけるとの報道を耳にした。国民年金は払えなくても海外旅行には行けるのは大変結構なことである。(皮肉) 尚昨日の年金論議で、議員年金もついでになくしたらよいと思う。

 小学校も休みなので、小学生の孫2人の面倒を見ると共に、黄 文雄の「中国が死んでも日本に勝てない7つの理由」を読み切った。 中国の経済成長と日本のメーカーの工場進出で、日本の産業が空洞化して、中国にやられてしまうのではないか、というような議論が日本ではあったが、黄氏はとんでもない、中国はいろいろ深刻な問題を抱えており、どうもがいても日本には勝てないと断言している。以下7つの理由を列挙する

1.中国経済は外資頼みで問題が多く、日本の技術による生産大国に過ぎない。 2.「万民平等」とはいうものの貧富の差は拡大し、WTO加盟で農村は崩壊する。 3.文化に根ざした汚職と政治腐敗により中国共産党はまさに崩壊寸前である。  4.「中華思想」は詐欺横行、人間不信の文化で世界の顰蹙を買い続けている。 5.人口13億人が世界資源を食いつぶし、自然環境の許容限度を超えている。 6.軍事費を優先するも教育を軽視し、拝金主義政策のツケが廻ってきている。 7.反省をしない国家であり、中国は崩壊へ突き進むシナリオである。新・大東亜  共栄圏の構築は日本の責務である。


[28日(水)] 年金制度の改定でもたつく

 今日は朝から晩まで、テレビでは国会での年金制度の改定に関連して、閣僚と官房長官7名だけでなく、野党の党首まで国民年金を未納乃至は未加入の時期があったことなどが報道されていた。結果的には野党の欠席にもかかわらず、与党で衆議院の委員会で採決し可決してしまった。

 事の発端は、少子高齢化で年金財政が破綻し、厚生大臣のいる公明党の主導で、毎年少しずつ負担を上げ、給付を減らしてつじつまを合わせようというのが政府案である。これに対して野党は、未納者の多い国民年金や厚生年金、共済年金を一本化し、消費税を上げて一部振り向けるという案を出したが、数字的裏付けがないと与党に攻撃されてしまったものである。

 問題の根源はいくつかあるが、@少子高齢化に対応しなければならないこと、A年金制度が複雑なので単純化すること、の他に与党、野党共に指摘していないが、B政府があまり大きな金銭を扱わないことが必要である。道路公団でも郵政でも、官経済が肥大化すると必ず問題が起き、年金でも既にいろいろなトラブルを起こしているのでBの処置が必要である。その他政府案で負担を上げてゆくと、厚生年金など企業の負担が半分あるので、企業の負担も増え、経済界への悪影響も懸念される。

 これらの問題に対して、かつて経済同友会で提案していたが、年金は一本化して基礎年金のみとし、これを消費税でまかなう。消費税を5%上げて10%とすれば十分である。厚生年金や共済年金のその上の部分は社会保障ではなく個人の保険とする。つまり現役が退役を養うのではなく、各自が積み立てる形式とする。既に年金受給者の大半は現役時代年金を払ってきたと思われるので、社会保障から外してもよい時期である。勿論今まで支払ってきた部分の払い戻しや過渡期の処置は必要であるが、之により官の負担は軽減し、何より企業の負担も軽減する。諸外国の例をみても消費税は15〜25%が普通であり、日本の5%は極端に低いので10%にすることにそれほどの抵抗はないと思われる。又こうすれば未納問題はなくなるし、未加入問題もなくなり、国民がみんなで負担するという社会保障としてごく当たり前の形になると思われるし、少子高齢化になっても別に問題は発生しない。過渡的処置が必要ではあるが、問題をすべて解決する方策としてこのような案に基づく改革が行われることが望ましい。


   

[27日(火)] 台湾人の見た日本の歴史

 今日は朝から雨で、又風も強く、午後3時半頃に東京では32.2m/sの突風が吹いたという。一方昨夜から今朝にかけて、ウイルスメールが殺到し、昨夜は77通、今朝は66通もメールが入り、その殆どがウィルスメールであった。Yさんの所は500通というから受けるだけでも大変である。Norton AntiVirusで怪しいメールの受信を拒否したいと思っているがまだうまくいかない。

 台湾の黄文雄が書いた「捏造された日本史」を一気に読んだ。著者は台湾生まれだが、日本の大学を出ており、日本にも長くいるので、特に中国に対する日本人の見方の甘さを痛烈に批判しているように感じた。日清戦争は中華帝国が起こした日本への懲罰戦争と断定しているが、清国は敗れて近代化の必要性を痛感し、伊藤博文も清国宰相としてスカウトされかかった。日露戦争でも日本が勝って、朝鮮は中国やロシアの併合から守られ、中国のロシア化も阻止された。大正時代中国近代革命の基地は東京で、多くの日本人が中国の革命家を支援し、陸軍士官学校の清国留学生が近代中国軍を育てた。又満州はかつての万国法の基準では「無主の地」であり、馬賊出身の奉天軍閥と日本の関東軍により支配権が争われたが、満州荒野の開発は移民同士の競争で、漢民族の大量移民で先住民の土地を略奪し、日本移民を圧倒して彼らの桃源郷となった。尚孫文もかつて日本へ満州売却の交渉をしたという記録もある。

 廬溝橋事件に始まる日中戦争も、内戦で無政府状態の中で日本軍は中国側の挑発に翻弄されてしまった。蒋介石は中国側の戦争犠牲者は戦死、戦傷、行方不明併せて438万人と発表したが、いつの間にか1000万人、2100万人とふくれ、江沢民は3500万人と称している。これが中国式で、皆殺しや略奪とか南京大虐殺なども中国固有の文化である。又日本の植民地経営は、中国式の収奪ではなく、殖産興業・インフラ整備で、台湾では今でも日本人の貢献度を高く評価している。朝鮮は台湾よりはるかに優遇され、植民地というより合邦国家だったのに日本を恨むのは恩知らずである。大東亜戦争でも白人をアジアから追放した日本だけが侵略というのは理屈に合わない。植民地支配の代理人華僑を粛清して東南アジアで歓迎され、アジア民族の独立に自信と力を与えた。ただアジアの共存共栄から日米最終戦争は回避できなかったが、やはり日本の自存自衛の戦争で、和平努力が実らなかったのは誤算であった。

 戦後人民解放軍の台湾侵攻を金門島で見事に食い止めたのは実は根本博中将の機略であり、日本軍が去ってアジアには再び内戦の嵐が吹き荒んだ。最後に靖国神社参拝に関する外国の批判を受け入れるべきではなく、又教科書干渉の甘受は日本政府の死に至る病であると評している。日本にはびこる一国平和主義と念仏平和主義は浮世離れしており、平和ボケの愚かさであり、マゾヒズムであり、日本人は中華思想に屈せず、もっと自国の歴史に自信を持つべきであると主張している。


[26日(月)] シラージャトゥで糖尿病は根治できるか?

 糖尿病の原因ははっきりしており、治療法も確立しているが、西洋医学では殆ど治らず、今や日本人の10人に1人が糖尿病患者かその予備軍になっているという。原因はストレス、食生活、運動不足にある。西洋医学は対症療法で、食事運動療法、ついで血糖降下剤、更にはインシュリン注射となるが、絶えず合併症を警戒していなければならない。遺伝もあり、一旦糖尿病にかかったら大体一生つきあうことになる。合併症としては神経障害、網膜症、腎症にかかりやすく、脳梗塞や心筋梗塞その他内臓がやられる危険がある。

 日頃軽度の糖尿病で2ヶ月に一度病院に行って検査してもらい、血糖降下剤ももらっており、又別に3ヶ月に一度眼底検査もしている。ところがふとした事から「糖尿病革命」という本を図書館で見つけたので早速読んでみた。するとヒマラヤの岩石から滲出する鉱物質から精製した「シラージャトゥ」という錠剤を飲むと、なんと糖尿病患者の95%が、数週間から数ヶ月で糖尿病が治るという。実際に治った方36名の歓喜の声が体験集として寄せられている。

 シラージャトゥは一種の生薬であり、東洋医学の常として、即効性はないものの、之を飲めばヒマラヤの大自然のエネルギーを取り込んだことになり、やがて自然治癒力が高まり、インシュリンの分泌が正常になり、血液と神経の流れを整えて細胞を活性化し、快眠、快食、快便の健康体を体感できるようになるという。もちろん糖尿病だけに効くわけではなく、他の病気にも効くらしいが、西洋医学で治らない糖尿病が治るということはやはり革命的であろう。早速東洋医学伝承研究会(0120-442-140)に電話してパンフレットを送ってもらうことにした。多分購入することになると思うが、その後の効果については追って報告したい。


[25日(日)] 久しぶりのファミリーコンサート

 T社の従業員主体のフィルハーモニー管弦楽団第21回定期演奏会として、本日大崎広小路のゆうぽーと簡易保険ホールでファミリーコンサートが開催された。創立以来15年になり、その間一貫して河地良智氏が指揮者として毎月トレーニングし、当初30人くらいのメンバーであったが、今は100人を超える大管弦楽団となり、白髪のOBも加わって、今やひいき目とは言いながら、プロの楽団と見まがうというか目をつぶっていては分からない位うまくなった。今回は比較的知られた名曲を集めたファミリーコンサートであった。

 前半はエルガーの行進曲「威風堂々」第一番の景気の良い曲に始まり、ビゼーの「アルルの女」第2組曲よりメヌエットとファラン ドール、シベリウスの「カレリア組曲」より行進曲風に、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」でヴァイオリンの独奏は全日本学生音楽コンクール全国大会高校の部優勝の川口尭史君で、ヴァイオリンの音色はすばらしかった。

 休憩後後半はバーンスタインのキャンディード序曲にはじまり、これは今まであまり聞いたことがなかったが、ついで小山清茂の管弦楽のための木挽歌という邦楽的管弦楽が続き、おなじみのハチャトリアン・バレー「カイーヌ」より剣の舞、マスカーニの歌劇「カバレリア・ルスティカーナ」より交響的間奏曲、最後にラヴェルのボレロが演奏された。おまけにアンコールで軽い景気のよい曲が3曲も演奏され、最後の曲は観客の拍手の仕方まで河地さんに直接指導された。

 以上が演奏会の概要であるが、ホールはほぼ満員の盛況で、白熱した演奏と共に、大変気持ちの良い演奏会であった。昔から音楽、といってもコーラスと管弦楽の場合が主であるが、感性に触れると涙腺がゆるむ傾向がある。ハーモニーに敏感なせいかも知れない。今日は冒頭のエルガーの行進曲をはじめとして、前半、後半、時々涙腺がゆるんだ。近頃滅多にない経験である。楽団の尚一層の精進を望んでやまない。


 

[24日(土)] 雑学覚書

 実は出掛けるたびに電車の中で読んでいたM君の「雑学覚書」を一昨日読み終わっていた。M君は1950年T社に一緒に入社した仲間であるが、ずっと営業畑それも海外部門が長く、一緒に役員にもなった。しかし1988年監査役になった年に脳梗塞になり、1997年腎不全から透析が始まり、昨年4月尿管癌の転移と透析不能により逝去された。脳梗塞で死線をさまよった後、2年目の1990年1月から9月11日まで、話す方はまだ不自由だったのに左手の鉛筆書きで1日1件、全部で230件の随筆というか回想録というか備忘録のようなものを書き残している。これを死後発見して日日順にまとめて奥さんが製本し、友人ということで配布して頂いたものである。内容的には古今東西の人物像とか言葉の由来の解説が多いが、なかなか観察眼が鋭い。ただ世界中あちらこちらと話が飛ぶので、一度国別にまとめてみたら又別の面白味が出たのではないかと思った。元気でも毎日日記を書き続けるのは苦労なのに、よくも不自由な身体でありながら結構程度の高いものを書き続けていたものだと感心するばかりである。

 今日は本厚木にゴルフに行ったが午後から雨に降られ、雷もなり、遠方は晴れているのに、ゴルフ場の近くだけ雨だったようで、一寸ついていなかった。土曜日は久しぶりであるが、往復で東名は日曜と大差ないが、都内と厚木市内が大分混み、行きにはそれだけ時間がかかった。しかしゴルフ場は案外空いていて、駐車場も大分空いていたし、練習場にゆく間もなく、3組目と呼び出されてしまった。 このため殆ど練習せずにスタートとなった。今日の問題点はパットで、長い距離が全然合わず、短い距離が入らない。意外にグリーンが重かった。しかし1ラウンドすると約20,000歩くらい歩く事になり、健康には良いのではないかと思っている。

 帰宅後パソコン通信を巡回したりメールを開いたりし、何カ所かにメールの返事を出した。このHPもいろいろとトラブルが続いたが、ようやく収まったようである。やはり最新のXPのPCは使い勝手がよい。今までのME機は家内に渡して、DVDをみたり、いろいろと練習を始めたようであるが、時々手伝っている。PCやインターネットは大人のおもちゃとしてなかなか面白い。もっとも結構時間をとられるので、適当に運動しないと身体がおかしくなる。


 

[23日(金)] パスワードとライセンスキー

 昨日は東京でも29℃、甲府では33℃もあり、4月にしては観測史上最高の温度だったらしいが、今日も日中は暖かかったが、夕方から急速に冷え、明日は最高18℃、明後日は16℃と一転3月並の気候となり、関東でも北部には雪が降るという予報であった。日曜に音楽会があるので土曜にゴルフへゆくつもりであるが、気温の変動が激しいので注意が必要である。

 午前中昨日の岡田教授の講演「道州制論:その系譜と論点」の概要をまとめ、再度HTMLPerfectの調査を行ったが、昨日同様パスワードで引っかかってにっちもさっちも行かないので、ソフトの作者と代理店のベクトルにメールで何とかしてくれと依頼したが、すぐには返事が来ないので、午後から沼部のゴルフ練習場に行って小技の練習をしてきた。最近はアプローチとパットに問題があるので、それを重点に練習した。

 帰宅してから講演概要をMLで流し、ベクトルよりメールが入っていて作者に回したと連絡があった。そこでパスワードとはライセンスキーのことかと再度メールした。そこえ図書館から図書が入ったとの連絡で、自転車で出掛けたが、風が肌寒く感じた。「糖尿病革命」を借り、ついでに黄文雄の著書として、予約中の「中国こそ逆に日本に謝罪すべき9つの理由」がまだ5人待ちなので、大田図書館にある「捏造された日本史」を借り、別の図書館にある「中国が死んでも日本に勝てない7つの理由」を予約した。黄文雄の経歴は1938年生まれで1964年来日、早大商学部卒、明大大学院修士課程修了である。

 夜になってみたらベクトルより又メールが入っており、どうやらパスワードとはいうもののライセンスキーのことらしく、ライセンスキーであらためてパスワードの欄に記入したら、あっさりとエディタ面が出てきた。現在そこへ昨日の分を含めて日記を書き、このあとちゃんとアップできれば一見落着となる。これも新型パソコン導入に伴う一連のトラブルであろうが、いい加減に終わりにしてほしい。


[22日(木)] 一難去って又一難

 昨夜このHPがおかしくなり、又プロジェクト・マネージャーのSさんにメールで伺い、再度チェックしたら3日までどころかCM以外本文が全然出なくなっていた。そこでアドバイスに従い、NextFTPであらためてアップしてみたら、今度は綺麗に昨日までの日記が青地にでできて、ひとまずほっとした。

 12時30分から溜池の日本財団ビルで、第111回東京財団・虎ノ門道場として岡田教授の「道州制論:その系譜と論点」という講演があるので聞きに行った。詳細は別途まとめて道州制推進連盟のMLに流す予定であるが、道州制論といっても今まで一度も実現したことがない、とか「道州」という言葉の明確な説明がないなど、ややクールな発言であった。もっとも最初に、学者相手に話すのはよいが、一般の人に話をするのは苦手だと弁解していた。やはり学者であり、評論家だなと感じた。

 帰ってきてから道州制の資料など片づけているうちに、近くの三菱自動車から電話があり、点検が終わったから車を取りにくるように ということなので、歩いて数分のところなので出掛けた。クーラーが入らないということで今朝点検を依頼したものであるが、スイッチを入れればクーラーには異常がないとのことで、要するにスイッチの入れ方を夫婦で忘れていたということであった。そうこうしているうちに今度はソフトカイロのB治療院から電話があり、予約していたのをすっかり忘れて15分も過ぎており、あわてて自転車で行って全身を揉んでもらった。どうも間抜けなことが重なっている。

 夜になってこのHPに日記を書こうと思って、デスクトップにあるHTMLPerfectのアイコンをクリックすると、何と試用期間が過ぎたので登録せよという小さな文面が出て、OKすると名前とパスワードを記載しろと出てくる。昔の記録からパスワードを入れると、あっさり「パスワードは間違いです」と出てきて先に進めない。調べると1月19日に使用料を支払っているが、その後3月にXPのノートパソコンを買ったときに、ME機から移せずに、作者のHPからダウンロードしたので請求が来たらしい。だが別に新しいパスワードをくれた訳でもないのでしばらく様子をみることにした。ほんとに一難去って又一難である。


[21日(日)] いつまで続くぬかるみぞ

 今朝の産経新聞を見たら、昨日学士会で聞いた中島嶺雄氏の、正論大賞記念講演が報告されていたが、内容的には似たようなもので、1日に2度場所を変えて似たような講演をしたことになり、ご苦労様と思った。

 例によって水曜日なのでアクアスパに出掛けてトレーニングを行った。パソコンやBフレッツの切り替えに伴い、いろいろとトラブルがあり、その処理でいささか疲れているようで、陸上の筋力トレーニングでは少しきつい感じがした。ついでプールでは20mの往復を25回、1000mを泳いだが、二掻き一呼吸のクロールも少し苦しかったが、体調のバロメーターになる20mをクロールで無呼吸で泳ぐのが5回とも成功はしたがいささか息が苦しかった。ということはやはり少しばかり疲れているようである。しかし水泳前後の体重は74.9kgから74.3kgに減少し、まずまずの結果であった。

 続々 GOLDEN AGE のコラムに新型ノートパソコンの導入をのせているので、すでにこの日記にはその都度のせているが、その後行ったBフレッツ・ニューフアミリータイプへの切り替えをまとめてコラム#85に乗せた。従来のBフレッツファミリータイフ゜が10Mbpsなのに対して、同じBフレッツでもニューファミリータイプというのができて100Mbpsになり、しかも値段があまり変わらない。そこで回線の伝送速度は速いに越したことはないのでこの機会に変更し、併せてルーターを仕入れて二台のパソコンを並列に接続することにした。作業はそれだけであるが、インターネットでもNifTermでも常時接続で特別な操作なしに接続でき、かつ伝送速度が速いので大変便利になった。しかしその後ウイルス対策ソフトの電子メールスキャンがエラーになったり、ふとしたことからインターネット接続ができなくなったり、又夜中に突然Bフレッツ終端装置がピピピピピと異音を発したり、その都度対応に苦労した。やっと終わってHPにのせてやれやれと思ってこのホームページの日記を開いてみたら、4月分のみ白地に3日までの日記がでてきてその後が出てこない。どこかおかしくなっている原因と対策は分からないが、今日の日記を書いてアップしたらどういうことになるか、様子を見ようと割り切った。全く「いつまで続くぬかるみぞ」と言いたくなるがここが我慢のしどころであろう。


 

[20日(火)] 中華世界の変動

 今日はまだ4月だというのに早くも27℃を記録し、静岡など30℃を越えたらしい。このため青森の桜も満開となり、この20年で満開の時期が1週間以上早くなったようである。近頃あまり騒がれないが、これはやはり温暖化の影響であろうか? 或いは後で述べる隣国中国の砂漠化の影響があるのであろうか?

 17日の日記に記した産経新聞の「蘇る民族の歴史」で、100才以上の天皇が続々と現れたのをどう考えるのか興味があったが、今朝の新聞で、あれは当時春分から秋分で1年、秋分から春分までで1年と数える習慣があったそうで、つまり現在の1年を2年と計算したことに原因があると説明していた。つまり古事記に記録された年齢を半分にすればよいということで、そうすれば妥当な年齢となり、いささか肩すかしにあったような感じがした。尚たしか推古天皇の後で一番御長命だったのは昭和天皇であり、その次が明治天皇であるという調査をしたことがあったのを思い出した。

 毎月20日は学士会の午餐会で、今日は前の東京外語大学の学長、現在は国際教養大学の学長である中島嶺雄氏の「中華世界の変動」という講演があった。詳細は追ってまとめて続々GOLDE AGEのコラムに発表する予定であるが、注目点のみ以下記す。 *中国は変化している面と全く変化していない面と二つの座標で見る必要がある。 *25年前9億人で始めた一人っ子政策で人口が4億人増えた。将来15億人になるであろう。 *中国の経済成長もエネルギー不足、水不足、砂漠化により限界点にきている。 *国防費の3倍の軍事費を使って軍事力のみ増強しているがこれは国内を制する為である。 *水増し統計の根拠は、見せかけをよくして外資導入する為で、2008年には転換点を迎えるであろう。 *現在の胡錦涛主席、温首相は共に胡耀邦の愛弟子で民主化への政治転換はあり得る。 *中華思想には問題があり、尖閣諸島や琉球の領有権主張には毅然として外交交渉にのせてはいけない。 *台湾は中華思想にとって化外の地であり、日本も政策転換が必要である。


 

[19日(月)] 人生三分法と激動の昭和一代記

 今日は19日なので、十徳会があると思って虎ノ門の霞山会館まで行ってみたら案内がない。おやと思って開催通知の葉書を確かめてみたら何と5月の19日であった。前は毎月であったが、最近は隔月で、そういえば先月もあった。瞬間「しまった。ボケが始まったか?」と感じた。尤もついでに往復の電車でM君の雑学事始を大分読むことができた。

 たまたま今年は中学の卒業60周年にあたり、記念文集を出すので本文600字以内で何か書いてくれとの依頼がきていたので、「人生三分法と激動の昭和一代記」という題で応募し、メールで送ると共に、そのプリントと顔写真をデジカメで撮ってプリントしたものを夕方幹事に郵送した。人生三分法とは、人生を学校を卒業するまでの修行時代、社会に出て仕事をする職業時代、引退して道を楽しむ道楽時代の三つに分けて、それぞれに本文を尽くすことをいう。

 たまたま現役を引退したのが平成3年で、直ちにワープロで幼年時代から会社の現役引退までの記録を「激動の昭和一代記」という本にして、親戚、友人、知人に配ると共に国会図書館をはじめ出身校の図書館や大田区の図書館に寄贈した。人の一生は、生まれたての頃は本人は知らず、その後は本人以外は誰もすべては知らないので、できるだけ本人が記録を残すことが望ましいと思って自費出版したものである。道楽時代に入ってからはコラム、歴史道楽、異文化探訪記を中心に「GOLDEN AGE」、「続 GOLDEN AGE」と出版し、更に海外写真アルバムも加えて「続々 GOLDEN AGE」としてホームページを開いている。

 ところで激動の昭和一代記の修行時代の中学生時代が東京府立四中時代であり、質実勤勉を旨とする徹底的スパルタ教育や毎年合宿した那須の修養道場の思い出が今でも新鮮である。生来怠け者であったのに、少なくも勤勉が苦にならなくなったのは四中のお陰であり、一生感謝している。その他270ページの「激動の昭和一代記」を久しぶりに広げてみると、我ながらよく書いたと感心すると共に、昭和元年の出生以来TPK社の史上最高の業績を花道に引退するまで、よくもやりたい事をやってきた物だとあらためて感心した。


[18日(日)] Bフレッツ終端装置夜間に異音

 本日未明午前2時半頃、階下の書斎からピピピピという異音が聞こえ、目が覚めて書斎へ行ったら、PC、ルーター、Bフレッツ終端装置の一帯に鳴り響いていてどこから異音を発しているのか分からぬ始末であった。そこで先ずPCの電源とルーターとの接続を外してみたが、何ら変わりない。次にルーターの電源と接続を外してみたがやはり変わりなく、終端装置が問題だと分かった。そこで終端装置の電源をはずし、ルーターへの接続をはずし、光ファイバーは外せないのでそのままにしておいたら、やはり依然として異音が続く。

 お手上げになってすべて復元し、異音の発するままにインターネットへの接続は難なく行える。とっさにNTTの連絡先が見つからず、116に電話したら夜間で営業していないが、インターネットで聞いてくれとのことであった。そこでインターネットを開いてみたら、Bフレッツをはじめ、注文の処理ばかりで故障に関するものはなかった。

 諦めて床についたが、気になって寝付かれず、午前3時半頃ふたたび書斎へ行ってみたら、なんと異音は消えていた。どうして直ったのか分からなかった。やや睡眠不足のままゴルフにゆき、夕方帰ってからBフレッツの書類を調べて故障に関する問い合わせの電話があるのを発見したので電話した。留守電のようになっていたが、まもなく担当者から電話があり、NTTとしても異音を発するという故障経験は聞いた事がないという。電源を切ったらということであったが、それでも鳴り続けていたといったら、NTT側もお手上げであった。現在支障なく使われているので、再び同様の事故が発生したら、直ちに故障係に電話することで一応決着をつけた。

 イラクで3人解放されたあと、行方不明になっていた2人も同様イスラム聖職者を通じて解放された。これで日本人の人質乃至行方不明者はすべて解放され、まずは愛でたしとなった。一方自己責任の非難が高まったため、3人の人質の解放にあわせて兄弟2人がドバイに向かい、人質に注意した結果、当の人質は記者団の質問に何も答えなかったという。

 本日は昨日ほどではないが22℃程度で暖かかったが、風が結構強かった。ゴルフはメンバー同士とはいえ初顔合わせの組み合わせであったが、今日も又結構スコアを乱した。ただ反省すると殆どがアプローチとパットのミスで、アプローチでは風の読み違えとショートアプローチのだふりによるミスであった。又パットは3歩くらいの短いのをことごとく外し、又長いのも練習の際好調だったにも拘わらず失敗が多かった。先週と同様ドライバーとフェアウェーウッドは殆どミスがなく、これからアプローチとパットの練習に努めたい。


 

[17日(土)] 日本の古代史と韓国の総選挙

 今週は前半日中の最高温度が10℃とか13℃と寒かったが、後半は暖かくなり、今日は26℃になると予報された。更に来週は20℃以上で暖かい予想である。ようやく冬物を片づけて夏物に入れ替えたが、これから又寒い日がくると着る物で困ってしまう。日本には四季の変化があるのが特徴的であるが、短期的な寒暖の変化は激しくないことが望ましい。

 毎朝の産経新聞に「蘇る民族の歴史」という連載ものがある。神武天皇から欠史8代といわれている第2代から第9代の天皇を含めて歴史の見直しをし、神武天皇の即位は紀元前660年ではなく、西暦181年であり、欠史8代の天皇も実在したと主張している。又江上不二男の騎馬民族説は暴論であると徹底的に批判している。特に天皇の妃の出身地から大和朝廷の勢力範囲を確認しており、魏志倭人伝に出てくる邪馬台国との関係も説明している。今日は「第3章 崇神天皇の虚像と実像」が進行中で、「28.ずらっと並んだ百才以上」と古事記や日本書紀に記された天皇の寿命が100才を超えるものが多いとしている。神武天皇の即位に辛酉革命説をとったのは間違いで、天皇長寿の伝承によるとしているが、163才などという長寿は実際問題として認められず、これからどのように議論を進めてゆくか見物である。

 廬大統領の弾劾でもめている韓国の総選挙で、なんと大統領を支持するウリ党が一挙に過半数を僅かだが越えたようである。反面ハンナラ党は大敗する所、党首に朴大統領の娘さんをたてて、何とか持ちこたえたようである。弾劾自体は裁判所に持ち込まれており、ウリ党の主張する政治決着ははかられないという。ただ両党の争いが政策面ではなく、情緒的で雰囲気で争われたようであり、更に世代間の争いとなり、ウリ党は若者、ハンナラ党は高齢者と分かれた様で、又依然として百済・新羅間の地域的対立となっているようである。民族の自覚を深めること自体は悪くないが、この時代に北に迎合して左翼化することは非常に大きな犠牲を払うことになると思われる。


[16日(金)] イラク人質解放、産業の活性化、旅順攻防戦

 イラク人質問題については10日の日記に触れたが、昨夜以来3人の解放でテレビも持ちきりである。ただし新たに二人が行方不明になっているという。しかしようやく無責任な行動と多額の税金を費消したことに対して文句がテレビにも出てくるようになった。にも拘わらず、未だにイラクから離れたくないなどとうそぶいているようで、その不遜な態度には呆れてしまう。やはりまともな国民教育を受けていないための公に対する認識レベルの低さが問題の本質かも知れない。

 午後日本工業倶楽部の産業講演会で経済産業省の経済産業政策局長杉山秀二氏の「我が国経済・産業の活性化に向けて」という話を聞いた。要点は一つには従来設備、債務、雇用の過剰に悩まされていた産業界もようやく屈折点を超えつつあり、今や転換期を迎えている。その前提としてGDPの伸び、株式売買高、大企業の経常利益、経常利益率、有効求人倍率等がいずれも十数年ふりの高水準になった。第二には二極化といっても企業規模、事業部門や地域の二極化がすさまじく進展し、今後はどうやって勝ち組になるか、が問題の焦点になってきたという話であった。

 帰宅後13日の日記に記した「旅順攻防戦」について感想文を正式に作成した。内容的には大して変わりはないが、思い出してみると、一昨年の9月にツアーで旅順を訪問しているのに、添乗員も地元のガイドもいずれも日露戦争当時の旅順攻防戦についての知識がなく、二〇三高地や東鶏冠山北堡塁は訪ねたが、旅順要塞の全体についての説明がなく、従ってどのように戦闘が行われたか納得できなかった。別宮暖朗の著書を読んで、はじめて要塞全体の構図が分かり、戦闘状態やステッセルの降伏の理由が判明した。丁度今日は続々 GOLDEN AGE の歴史道楽に「江沢民の反日教育」をアップしたが、旅順攻防戦も来週アップするつもりである。

 2週間前に図書館から借りた「<民主>と<愛国>」「旅順攻防戦」の2冊もようやく読み終わり、目次別刷りと感想文が書けたので、明日図書館に無事返本できることになったが、特に前書はページ数が多いので、読了にやや骨が折れた。おかげで今日の東京への往復には、先日未亡人から送られたM君の遺稿「雑学覚書」を読み始める事ができた。脳梗塞になりながら、左手だけで90年の元日から9月末まで、毎日一日一題で書き綴ったということと、話題が古今東西に亘っていることに感心する点が多い。


[15日(木)] パソコンのトラブル解決

 昨日の午後からパソコンが不調でインターネットに接続できず、従ってメールもできなかったが、午前9時頃ふたたびクラブQ&Aに連絡し、2度駄目だったが、3度目にようやく直り、10時過ぎに無事解決した。Internet Explorerのアドレスを 192.168.1.1 とし、アドバンスド設定で WAN 側の設定、つまりルーター側の設定で、PPPoE接続アカウント選択を2から1に変更した。ついでPCをオフし、ルーター電源をオフし、5分後ルーターをオンし、更に2から3分後PCをオンした。そしてInternet Explorerを開いてみたら、あっさりと続々 GOLDEN AGE のトップページが出現し、無事復調した。理屈がまだよく分からぬが、故障の原因は再起動に失敗して強制遮断したあたりにあるように思われ、今後注意する。尚クラブQ&Aには5月9日まで無料で修理指導依頼できるという。

 パソコンの回復に伴い、いつもの通りフォーラムの巡回、メールの受信を行い、メールの1通を今度はMLで仲間に流し、昨日の夢幻日記を書いた。ついで昨夜の例会の議事録を作成し、関係先に流すと共に連盟のHPの活動報告にアップする。討議事項は今後の活動の展開であるが、いろいろと知恵を絞って工夫しなければいけないことが多い。簡単に言えばHPをもっと簡単で普通の人にピンとくるようにしなければいけない。

 ついで毎週1回のソフトカイロ全身マッサージを約1時間受ける。身体が今週は少し硬いといわれたが、特に足首の運動を就寝前に行うよう注意された。足首を柔らかくしておかないと、あちこちにひびくようである。老化現象の影響もあると思われるが、生まれつきの面もあるようである。尚夜に6月に予定している北海道旅行のチェックを行った。


 

[14日(水)] トレーニングと夜の会合

 水曜日の午前は毎週アクアスパ(スポーツセンター)で陸上とプールでトレーニングを行い、身体の状態をチェックし、毎月第二水曜の夜は、唯一の夜の会合としている道州制推進連盟の例会を主催している。

 アクアスパでは今日は万事順調で、陸上の自転車漕ぎにはじまって6種類の器械を使った筋力トレーニングも難なく終了した。プールに入ってからも、問題の20mノーブレッシングを前後4回とも、比較的難なくこなせた。一寸でも調子が悪いと、途中で苦しくなるが、今日は順調であった。そのせいか、800mしか泳がなかったせいか、体重が0.5kgしか水泳前後で減少しなかった。今までは大体0.6〜0.7kgは減少していたので、これなら1000〜1200m泳げばよかったと後悔した。しかし体調がよいのは嬉しいことである。

 夜の会合は8人参加してなかなか賑やかであった。たしかに道州制という概念は全国的に広がりを見せているが、どちらかといえば府県レベルで検討されており、ひどいぶら下がりをしている地方の人口の少ない町村レベルにはまだあまり浸透していないように見える。役所をお上と錯覚し、国から財政支援をうけるのを当たり前と思っている、地方の国民の意識を変えてゆく必要があり、若者や女性を含めてどのようにアピールしていくかが議論の中心であった。議論はややまとまりにかけたが、明日議事録で整理するつもりである。

 実は折角順調に運転していたインターネットが、どういう訳か接続不能になり、クラブQ&Aという所に連絡して指導を仰いだが、夕方までに解決せず、明日への持ち越しとなってしまった。どうやらルーターへの接続がおかしくなったらしいが、メールもできないので困ったことである。


[13日(月)] 今まで知らなかったことを知る喜び

 今日は朝から病院の眼科へ行って、3ヶ月ごとの定期的な眼底検査を行った。糖尿病関連の検査である。幸いにしてどこも悪くないという結果であった。午後から工業倶楽部の素修会に出るので、その間時間つぶしに、9日の日記にも書いた「旅順攻防戦」を殆ど読み切った。この旅順攻防戦と素修会の「イスラムとは何か」でいろいろと新しいことを学んだ。

 先ず、{「坂の上の雲」では分からない 旅順攻防戦}であるが、一昨年9月に旅順を訪れた時に、水師営、二〇三高地、東鶏冠山北堡塁、旅順港などは残っているが、日清戦争で乃木将軍が簡単に旅順をおとしたのに、日露戦争で大分苦戦した理由が知りたかった。今回別宮暖朗の著書ではじめて疑問が氷解した。日清戦争の時は城壁で囲まれていたので、そこを突破すればよかった。日露戦争では外側は25kmに25の堡塁と間に塹壕があり、しかも三重の防衛線を敷いていた。トーチカは決して東鶏冠山北堡塁だけではなかった。又空軍のない時代で、歩兵と小銃が主力であり、武器は日本の方が進んでいたようである。結局旅順の攻略が日露戦争の勝利の源だったという。乃木将軍の戦法は正攻法であり、決して無能ではなかった。むしろ海軍と参謀本部の方が実情に合わない指令をいろいろと強制したようで、坂の上の雲を書いた司馬遼太郎も当時の武器や戦術に詳しくないもので、誤った報告に基づいて書いたようである。それにしても100年前の戦争の記録が今頃訂正されるとは意外であった。

 素修会の講話は一橋大学大学院の内藤正典教授の「イスラームとは何か」であった。イスラムについては前に東大の山之内教授の話も聞いており、イスラムの歴史もある程度知っているつもりであったが、コーランや戒律の意味はよく知らなかった。コーランは神の言葉であるが、かなり具体的なことを言っており、例えば離婚引当金をつまないと結婚できないそうである。戒律の中の喜捨は、儲けるのは神のおかげであるから、その一部を貧しいものに与えよということであり、アメリカへ反発の元はアメリカが喜捨を理解しない所にある。断食は貧しいものを思って禁欲せよということで、丸一日では可哀想だから日の出から日の入りまでにしたそうである。人間は欲に弱いから神の法を定め、神の法で人間の世界に秩序を作れということである。また妻を4人まで認められているというが、元々は戦災孤児を案ずるなら4人まで娶ってもよいということだそうである。又これは知っていたが、西欧が中世の暗黒時代を経てルネッサンスを迎え、近代を迎えたというのは嘘で、途中でイスラムから文化を伝えられたのは今や明らかになってきた。イスラム教徒を理解しないとアメリカは成功しないが、果たして分離派ピューリタンの後裔アメリカにそれだけの器量があるであろうか?


[12日(月)] 雑用処理で日が暮れる

 今日は珍しく何も差し迫った用事がないので、朝はゆっくり起き、いろいろな雑用をこなした。まず毎朝恒例のニフティの平成フォーラムを巡回してから、昨日の日記をつけ、いくつかのメールに返信したり投稿した。道州制推進連盟のHPの問い合わせに対する返事は神経を使う。相手を知らず、文章が論理的でないので、何が分からないのかがよく分からない。しかしそのような人々を啓蒙するのが趣旨であるから、できるだけ分かりやすく文章を作って送っている。

 ついで一昨日の文化センターでの異文化紹介スライドショー関係の資料の整理を行い、次に昨日ゴルフ場で会ったKさんからいただいたアモイとキューバの旅行記を一気に読み、礼状を書いた。いずれもいきいきと現地の表情を伝えている。Kさんは公認会計士で私より数ヶ月若いだけであるが、昨年は海外旅行9回、国内旅行3回、ゴルフは199回プレーし、読書は180冊というすごい馬力である。これで生涯通算ゴルフは4,356回、読書総数は4,130冊だそうで、生涯目標のゴルフ5,000回、読書5,000冊も射程距離に入ってきたという。

 ついで明後日開催予定の道州制推進連盟の資料の準備を行う。特に先月入会した「日本再建のため行革を推進する700人委員会」について結成以来の活動概略を資料化し、先月の議事録、構想日本のフォーラム「外国人から見た日本の政治」、「戦争体験と戦後思想の検証」、「アメリカとはどんな国か」「江沢民の反日教育」などの資料をコピーした。一見道州制と関係ないようであるが、実は日本人の精神構造が問題で、そこを正常化しないと道州制も賛同者が増えない。

 一方インターネットでヤフーニュースなどで道州制を調べると、地方制度調査会、地方分権改革会議、北海道、秋田、南信州、広島、 中国地方、山陰、沖縄等でも道州制の検討が行われており、大分ひろまったかに見える。しかし九州の町村では国が圧力をかけていると平成の合併に7割が反発していると西日本新聞は報じている。これは一種のTax Eaterの反乱であり、ぶら下がり族の虫の良い注文なので、なぜ合併が必要か、わかりやすい啓蒙が必要である。簡単に言えば、住民が少ない市町村ほど、住民1人あたりの経費が余計にかかっており、従って中央にぶら下がる比率が高いので、無駄を是正しなくてはいけない。ただし連盟から九州各県知事に出したアンケートは、回答の集まりが悪いが、一応各県から回答がもらえる事になったという。

 桜の花もようやく散り、近くの六郷用水は桜の花びらで埋まり、そういえば昨日のゴルフ場でもティーグラウンドが花びらで覆われたりした。今年はずいぶん長い期間桜を楽しんだが、まだ山桜はこれからが盛りのようである。近所の高校の垣根にある海棠やサツキが見頃である。今日は昼間は25℃を超え、歩くと汗ばむほどであった。ついでに洋服箪笥の中身の入れ替えを行った。いよいよ夏服の季節である。


[11日(日)] 気分転換にゴルフコンペに参加

 当面の懸案がすべて解決したのを受けて、本厚木東芝会のゴルフコンペに参加した。本厚木C.C.が開場したのが昭和37年(1962)で、その2〜3年後から始まり、3ヶ月ごとに開催されているので、もう130回くらいになる。本日は参加が13人と少なかったが、最初からの参加者はHさんと私の二人だけになってしまった。途中ルールがよく変わるが、昭和50年代にはHDCP7となり、ハーフ30台で廻ったのも今は遠い昔の夢となってしまった。

 本日の特記事項はMさんが15番ホールでホールイン・ワンを行った。当会としては4回目のホールインワンであるが、このホールは20m位の打ち上げであり、距離も185ヤード位あり、カップは勿論グリーン面も下からでは見えない。当人も打ちすぎたと思って、グリーンの先のラフを調べたがボールが見つからず、弱ったなと思っていた所、仲間がカップの中にボールを発見したという。18ホールの中に4つのショートホールがあるが、この15番が一番難しい。私などは最近はドライバーで打っても届かないくらいである。とにかく奇跡的に近い珍しい、誠にお目出度いことであり、クラブからもお祝いのワインが寄贈された。

 今までフェアウェイウッドとして 3,4,7,9,11 と持っていたが、3番を使う機会が少なく、4番でも打ちそこなう事があるので、本日から3番をやめて5番を持ってゆくことにした。そして少し上り目の傾斜では4番を使い、平らな所や少し下り目のところでは5番を使うことにした。その結果、本日はドライバーやフェアウェイウッドのミスは殆どなかった。1ラウンドで辛くも100は切ったが、相変わらず芳しくなかったのは、アプローチとパットであった。アプローチでわざわざバンカーへ入れたり、短い3 〜4ヤードのパットを再三外したのはいただけない。しかしその辺をトレーニングすれば、比較的楽にラウンドすることができる可能性が見えてきた。問題は何とかして練習の時間を見つけることであろう。


 

[10日(土)] 当面の懸案一挙解決

 毎月第二土曜の午後には、地元の文化センターの熟年男性の集まりである「いきいき倶楽部」の集会がある。8年前に20人で設立し、以来会長となっているが、実務は後進にゆだねている。しかし会員数が減ったこともあり、毎年当番が回ってくる。今年も新年度の4月は私の当番で、スライドショーを含めて海外旅行の紹介というか、異文化の紹介を行った。

 前にも一度やったことがあるが、その時は息子のノートパソコンを借り、スライドショーのソフトはFD、写真集はCD−ROMを使った。その為だけではないが、デスクトップのパソコンから最新型のノートパソコンにグレードアップし、写真集をパソコンに入れるとスライドショーのソフトも付属しているので非常に操作が簡単になった。しかし文化センターの大型テレビと接続するので、実際にセットアップするまで、うまくできるかどうか自信なく、心配だった。

 幸いにして一発でうまくいった。さらに今日は新人が3人も入会し、大分賑やかになった。これなら今後いつでもやる自信がついた。 内容としては「ミャンマー大周遊11日間」と「アルプスの懐スロヴェニアとアドリア海の至宝クロアチア11日間」、更に欲張って「フランス物語15日間」の紹介を行った。それぞれ数百枚の写真があり、記憶の劣化と共に説明に窮する場合もあったが、一応何とかこなすことができた。視野を広げるという点で多少は効果があったのではないかと思う。これで当面の課題が一つ解決した。

 昨日パソコンのウィルス防護のソフトAntiVirus2004の電子メールスキャンが赤字でエラーとなり、シマンテックにメールで問い合わせたら、返事があったが、Symantecのソフトを全部アンインストールしてから再インストールするよう返信が来た。これはなかなか大変でやりたくないので、昨日ルーター接続に来たパソコンサービスステーションにやっと電話がつながって問い合わせたら、むしろこのような質問は「クラブQ&A」にした方がよいと言われていた。午前中で時間がないので文化センターから帰ってから電話しようと思っていた。そこで夕方帰宅後念のためにInternet Securityを起動し、AntiVirusを開いてみたら、なんと電子メールスキャンはオンとなっており、も一台のデスクトップも同様であった。無意識にいじっているうちに直ってしまい、これで電子メールによるウィルス感染の心配はなくなってしまった。これでXPのノートパソコンを買い、Bフレッツのニューファミリータイプに変更し、ルーターを入れてMeのデスクトップも共にインターネットに常時接続する一連の変更作業が全部成功裏に終了し、肩の荷が一挙に下りた感がする。

 昨日からテレビではイラクで邦人が3人テロ集団に拘束され、自衛隊の帰国を要求しているという。これに対して政府は邦人の釈放には努力するが、自衛隊の撤退には応じないとしている。危険だと言われている中を出掛けて捕まるのは不注意以外の何物でもない。相手はおそらく金目当てのやくざ集団であろう。留守家族が本人の安全のために自衛隊の撤退を要求しているというが、とんでもない話である。むしろいらぬ税金を費消することに対し、弁償すべきである。先日読んだ戦後思想の一環として考えると、国家意識が崩壊しているとしか思えない。この世界、特に海外では、日本人的善意は容易に通じないことは、昔からちっとも変わっていない。


 

[9日(金)] 書斎一新(ルーター接続と照明器具取り替え)

 昨日述べたように、午前中に助っ人がきて、2台のパソコンをルーターを介してBフレッツのニューファミリータイプに接続してもらった。この結果2台とも常時インターネットに接続し、一々接続操作の必要がなくなった。ついでにウィルススキャンを行ったが、なんと電子メールスキャンで赤字でエラーと表示されてしまった。調べたが原因と対策がよくわからず、シマンテックに電話で問い合わせをしようとしたが、なかなか通じず、メールで問い合わせた。受け取りの返事はすぐきたが、回答はまだ来ない。その他一太郎のアップデートなどたまっていた雑事をこなした。成る程ダウンロードの時間などあっという間であった。

 昼飯を食べ終わらぬうちに今度は照明器具の電気工事屋がきた。34年前の照明器具を天井からはがし、新しいものを取り付けた。たしかに時代の進歩で取り付け構造がまるで違うことが実感された。全体の形状が四角から円形に変わったのに伴い、ランプも直線の蛍光ランプから円形のライトに変わり、さらにスイッチの他にコントローラで白色灯、黄色灯をコントロールできるようになっていた。これらは今や常識だそうだが、今回初めて知った。出身は電気屋でありながら、時代の進歩に追いつけていない。

 かくして我が家の書斎は面目一新したが、ついでに文堂治療院へ行って全身マッサージをしてもらった。やはり股関節が少し硬いようで、いろいろと筋を揉んだり、伸ばしたり、週1回の1時間のマッサージは気持ちがよい。

 尚昨日の日記に書き忘れたが、別宮暖朗の「「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦」という図書を読み始めた。副題に「乃木司令部は無能ではなかった」とあるが、読み始めの部分では、日露戦争当時の兵器の性能や戦術について、「坂の上の雲」の著者司馬遼太郎が如何に無智であったか、具体的に述べられている。私自身の関心は、一昨年旅順を訪れた際、裸の二○三高地より東鶏冠山北堡塁の方が巨大なトーチカで、こちらの方が手強そうに見えたし、一体日露戦争の時はどのような状態だったのか明らかにしたいということであった。この本では旅順は三重の防衛線があり、25kmに25箇所の堡塁があり、その間を塹壕で結んでいたという。毎日用事があるので読み終わるまでまだ数日かかるが、電車の中で読むには格好の図書である。


[8日(木)] Bフレッツ・ファミリータイプからニューファミリータイプへ

 今日は朝からいろいろな事があった。まず昨日いただいた雑学覚書について、手紙で礼状を書いていたら、早くも朝一番の宅急便で先日注文した照明器具が到着した。照明器具も最近は変わって簡単に取り付け取り外しができるようであるが、我が家の照明器具は34年前のもので天井に密着しており、無理すればできないことはないかも知れないが、危険なので一応明日工事を依頼してある。

 次いで昨日まで精力的に読んだ<民主>と<愛国>(戦後のナショナリズムと公共性)について感想文を「戦争体験と戦後思想の検証」という題でとりまとめた。原著に共感したのは、簡単に戦争というが、戦争体験は世代や階層、更には個人によってかなり違うということで、一概に戦争と言っても各人がイメージしているものには非常な違いがあるという点である。も一つは戦後の復興に対して、産業界では必死の努力が行われたのに、文学系知識人というある面では無為徒食の徒の言説ばかりとりあげるのに違和感を感じた。今こそ広く世界の、しかも古今の歴史をふまえて、冷徹な現実をみつめて断固国家主権を守る面で行動の一致が必要な時期であろう。

 午後日本工業倶楽部の木曜講演会として、桜井よしこ氏の「新世紀の風」を聞きに行った。この前道路公団民営化のシンポジウムで隣の隣に座っていたが、今日の話は非常に明快で、今や日本の国家意識が崩壊寸前である。その原因は教育にあり、基礎教育が出鱈目で、第一歴史をまともに教えていない。これを正すには、昔正規の教育を受けた皆様方(工業倶楽部の会員達)が声をあげてまともな教育の実現に力を貸して頂きたいとのことであった。丁度<民主>と<愛国>と似たような話で、演者は意外に私と感覚が似ていることに驚いた。

夕刻になって日本コムシスとやらNTTの工事屋がやってきて、Bフレッツには変わりはないが、10Mbpsのファミリータイプを取り外し、100Mbpsのニューファミリータイプの終端装置を取り付けてもらった。よく分からないが、WindowsXPのノートパソコンでは、何もしなくて前通り接続できた。ついでにプロバイダーのニフティにも連絡したが、特に何もしなくてよいとのことであった。尚今回WindowsMeのデスクトップもルーターを介して接続したいと思っており、明日サポートにきて貰うことにしている。従って明日は照明器具の取り付けとルーターの取り付けを予定している。これにより書斎も一段と近代化される。

[7日(水)] 戦後日本のナショナリズムと公共性(その3)

 午前中は2週間ぶりにアクアスパ(スポーツセンター)へ出掛けてトレーニングを行った。陸上ではやはり一寸休むと筋力の低下を感じてしまう。しかしプールに入ってみたら、我ながら案外元気で、片道20mをノーブレッシングで泳ぐのを健康のバロメータにしているが、前後4回意外にも難なく泳げた。体重も節食の影響でやや減少し、念願の75kgを辛くも割って74kg台にとどまる事ができた。できれば72kg以下に抑えて、現在胴回りがきつくて履けないズボンも履けるようになることを期待している。

 帰宅後前日に引き続いて<民主>と<愛国>第3部の第13章〜第16章および結論の約280頁を何とか読みこなした。なるべく早い機会に本書の感想をまとめる予定であるが、共感する部分とそうでない部分とあった。何しろ戦後知識人の思想を一人づつ検証しているので、頁数が膨大で、全体を把握するのがかなり苦痛であった。中でも敗戦時15才〜25才を戦中派と称し、それより年上を戦前派、年下を戦後派と称し、戦争体験の相違が如何にその後の思想に影響しているかという指摘は、私自身が戦中派として日頃感じていることもあり、成る程と感じた。ただしいずれにしても戦争体験は個人的にバラエティに富み、個別事象を一般化する嫌いがあり、著者自身もやや左翼的に偏向しているのではないかと感じた。

 本日会社の同僚として主として海外業務で活躍され、昨年亡くなったM君の未亡人から、故人が1990年の1月から9月まで日記のように書き綴ったものを製本し、「雑学覚書」としてまとめられたものを送付して頂いた。内容は古今東西に亘り、文字通り雑学であるが、これからひまに任せて熟読玩味したい。脳梗塞で右手が不自由になり、左手で書いたようであるが、人は死んでも著作は残る好例であろう。それにしても9ヶ月も殆ど毎日よくも書いたものであり、内容のレベルの高さに感心する。


[6日(火)] 戦後日本のナショナリズムと公共性(その2)

 昨日に続いて<民主>と<愛国>第2部、第7章〜第12章の約300頁を読む。第2部は講和問題で始まり安保闘争で終わった1950年代のナショナリズムに関する言説を検証している。この時代の背景として、一つは言説の担い手はすべて戦争体験者であった。1950年代の左派運動で「民族」という言葉が多用されたのは、戦中との連続性という問題を抜きには語れないとしている。いま一つは当時の日本社会の貧しさと、経済的・社会的な格差があげられる。1950年代後半に高度経済成長が始まっても、貧しさと格差が人々の関心から消え去るまでに長い時間を要したという。

 第2部でもやはり議論が殆ど国内に集中しているが、海外渡航が自由化したのは1964年であるといい、戦後10年間に海外に出掛けたのは14万人弱であったと書かれている。私自身1954年にスイスを主に、ドイツ、フランス、スエーデンに出張したが、当時は商社も新聞社もあまり海外に駐在もしておらず、日本全体としては国内に縮こまっていたように思う。従って50年代初めまで占領中だったこともあり、世界の現実と遊離した形で、共産党、社会党の左派勢力と保守勢力がぶつかりあっていた。

 残りは第3部約280頁であるが、明日から外出が増えるので落ち着いて読むのが難しくなるが、何とか消化したい。尚本当は来週の火曜の13日が結婚49周年になるが、当日は所用があるので1週間早めて本日、二子玉川の高島屋にある寿司屋「美登里」でマグロの昼食を食べた。ここは家内のお気に入りの寿司屋であり、なかなか美味しい寿司屋で、混雑して入場待ちになるので早めに11時に入った。それでも中は一杯であった。当然女性が多いが、たしかに日本人も贅沢になったものである。往復に多摩川縁の玉堤道路を走ったが、河原側の桜並木がまさに満開で、こころゆくまで堪能できたのは幸せであった。


[5日(月)] 戦後日本のナショナリズムと公共性

 小熊英二著「<民主>と<愛国> 戦後日本のナショナリズムと公共性」新曜社 2003-1-31初版第4刷発行 本体6300円+税 を読み始めた。全部で3部16章958頁の大作で、読むのになかなか骨が折れる。とりあえず本日は序章、結論と第1部(第1章〜第6章)約260頁を読んだ。本書の主題は、「戦後」におけるナショナリズムや「公」に関する言説を検証し、その変遷過程を明らかにすることである、としている。尚著者は1954年までを貧しかった第1の戦後、1955年以降を豊かになった第2の戦後とし、戦争を体験していない世代の出てくる1970年までに限って、「民主」と「愛国」、「国家」と「個人」、「公」と「私」の関係に関する「戦後」の言説がどのように変化したか、膨大な文献から再検証したものである。

 著者も指摘しているが、戦争の体験は年齢と個人的環境でかなり大きな相違があり、それにより考え方もかなり違う。また戦時中は都会の人口は少なく、農村が主体であったが、エリート層と一般大衆との格差がきわめて大きかったことが指摘されている。なるほどと思ったり、そのような事もあったのかというものもかなりあった。まだ読み切ってはいないが、膨大な文献が殆ど国内に限られており、戦争相手に関して全く検討せず、日本が失敗した、アジアで悪いことをしたという前提で議論を進めていることに違和感を感じた。やはりこれは著者が1962年生まれで戦争を全く体験していない点に原因があるのではないかと思った。つまり問題の戦後の自虐的歴史教育が身に付いているような感じを受ける。

 今日は一番下の孫の小学校の入学式で、式後我が家で息子一家と昼食会を行った。近くの私立学校で、今年の1年生は79名で、孫のクラスは39名(男子26名、女子13名)だそうである。又担任教員も1年生以外は男性教員だそうである。近くの公立小学校では学級崩壊が叫ばれており、できればまともな教育環境であってほしい。

 昼間に多摩川縁を散歩したが、一つは河原のゴルフ練習場が満員の盛況であった。天気はよいが、平日なのに満員とは、暇人がいかに多いか考えさせられる。他方河縁の堤防道路脇に咲いている桜が見事であった。特に2カ所の桜が見事な満開であったが、3本から5本の桜並木が、それぞれの桜の3本から4本の大きな枝がお互いにからみあっているようで、あたり一面が桜花に覆われている。そういえば我が家の隣の家の桜も満開で、何本かの枝が我が家の屋根の上に覆い被さっている。桜坂の桜を含めて、今年の桜は多分今日あたりがピークであろう。


 

[4日(日)] ゴルフをやめて3月決算

 今日は4月だというのに天気が悪く、朝の予報では雨だというのでゴルフはやめたが、当地ではあまり降らなかった。ただ気温が低くて10℃程度であり、関東北部では雪が降っていると夕方のテレビで報道していた。その代わり昨日予定していた3月分の決算を行った。 先月以来、資産変換でデータが不足していたが、ようやく揃ったのでほぼ完結することができたが、まだ一部不明の所があり、明日証券会社に問い合わせすることとした。

 ノートパソコンで写真集の画面を出すと、自動的にスライドショーができるようになっていて便利しているが、クラビノーバで演奏した音楽CDをかけてみたら、曲目に応じていろいろな映像もでてきて賑やかな感じであった。ついでに音量を加減する方法も覚えた。今後いろいろな事をトライしてみると、きっと思いがけない事がいろいろと出てくると楽しみである。


[3日(土)] 江沢民の反日教育、PCとTVの接続

 昨日読み終わった「反日で生きのびる中国」の記事を年代順に整理してみた。大別すると毛沢東時代、ケ小平時代、江沢民時代となるが、時代と共に共産党の一党支配の根拠がなくなってきている。そこで目に見える地主や富農を敵とする代わりに、近くにいる日本を敵として、特に青少年に愛国主義と称して徹底的に反日教育をやったのが江沢民であり、その影響はしばらく尾をひくであろう。内容を「江沢民の反日教育」としてコラムの原稿を作成し、図書館に返本した。そしたら、予約していた「民主と愛国」だけでなく、忘れていた「坂の上の雲では分からない旅順攻防戦」も貸し出してくれた。両方で1200頁以上あり、2週間で読みこなすのはホネである。

 ついで昨日記帳した通帳をもとに3月分の決算を行おうとしたが、なんと家中いくら探しても通帳の行方が分からない。記帳したまでは鮮明に記憶しているが、その後の記憶が全くない。やはり老化現象であろうか? 土曜日なので銀行も休みであり、月曜まで待って出てこなければ、紛失の届け出もしようかと思い、あきらめて他の仕事に切り替えていたら、運良く夜遅くなって見つかった。

 そこで気分転換と、明日の日曜が雨かも知れないということで、久が原の練習場に行ってゴルフの練習を行った。この前の日曜日にフェアウェイ・ウッドで大分ミスしたので、ウッドの3番を止めて5番を入れて練習した。これでドライバーの後のウッドは、4、5、7、9、11、となり、そのあとがアイアンの7,8、9、PW、FW、SWとなる。ずいぶんウッドが増えたが、これだと全然無理せずに楽にプレーできるので、しばらくこの形で続けようと思う。

 決算の代わりに、時間が空いたので、来週の土曜に予定している文化センターでのスライドショーに備えて、我が家のテレビを使ってノートパソコンでスライドショーの実験を行ってみた。当初色が出なかったりしたが、TVの方をいじっているうちにまともな映像が出るようになり、ほっとした。案外簡単であった。ただスライドショーが一定時間でどんどん切り替わってしまい、しばらく止めて説明を加える方法が分からなかったが、たまたまマレーシアから帰ってきた息子に手伝ってもらい、画面を右クリックしてプロパティを選択したら、一時停止、前送り、後送りなどができるアイコンが現れ、自由に操作が可能であることが分かった。あとは地図や日程表の印刷と古い旅行の内容を忘れているので、その予習が当日までに必要と思われる。


[2日(金)] 図書館、銀行、電器店、秋葉原

 今日は朝から図書館に行き、借りていた図書を返し、次いで雪が谷の銀行へ行って3月決算のため通帳記入を行い、更に近くの電器店に行き、リビングの照明器具、パソコンのルーターやテレビへの接続ケーブルなどについて調査した。しかし更に調査してみることで購入はしなかった。

 照明器具に関しては、インターネットで調べるともっと安いものもあることが分かったが、問題は工事で、これに関しては別途調査が必要である。ルーターやケーブルに関しては、よく分からないので、秋葉原のLAOXへ行って調べることとした。午後から出掛けてみると秋葉原は新しいITの町として非常に活気が感じられた。早速LAOXでまずBフレッツのファミリータイプで現在WindowsのMEとXPの2台のPCを1台づつつないでいるのを、今度同じBフレッツのニューファミリータイプに変更する機会に、2台とも接続するために必要な器具として ルーターを調べたら、無線ではないが、有線ブロードバンドアクセスルーターとしてcoretga社の製品が午前中の電器店の1/5の値段で売っていたので早速購入した。又パソコンのスライドショウを大型テレビに接続するケーブルとして、新しいS端子のケーブルと旧式の端子(古いテレビはS端子がない)のケーブル、更にその変換器を勧められ、購入した。後者は4月10日に必要なので、事前に家で実験してみる必要がある。帰宅後ルーターのフォローをしてみると、やはりPC側でセッティングが必要のようであった。

 電車で秋葉原まで往復する間に、やはり図書館から借りている図書「反日で生きのびる中国」を読み終わった。最近までのいろいろなことが順序不同で書かれているので、一度年代順に整理してみたいと思う。期間としてはほぼ1960年代から現在で、ごく最近には中国でも対日思考を改めるべきだとの提案が出ているようであるが、反日世論にもみくちゃにされているようで、やはり結論としては、江沢民のやった反日教育を改めるよう日本政府が公式に申し入れる必要があると思われる。


 

[1日(木)] 鎌倉へ墓参り

 いよいよ4月に入り、新年度に入った。一般の商品は外国と同じように消費税込みの価格表示となり、又成田空港や都営地下鉄は民営化し、JALとJASも一体化した。又会社や役所も入社式が行われたが、莫大な利益を上げているトヨタ自動車でも、張社長の挨拶はかなり競争環境が厳しいことを訴えていた。幸いにして株式等の景気指標はよくなってきているが、国の借金はますますふくれており、現在進めている構造改革程度では到底借金を返す所まではいかないであろう。小泉首相の改革の方向は良いが、ビジョンを明確にしないと実効は上がらない。ビジョンと実現の方法論を明らかにして初めて改革の成果が上がるものである。

 今春はパソコン騒ぎでお彼岸に墓参りができず、小さな孫二人をつれて今日鎌倉まで墓参りに行ってきた。おかげて第三京浜から横浜新道、横浜横須賀道路と、横横道路の入り口を除いては混雑しておらず、周囲の桜を見物しながら快適な走行であった。鎌倉霊園も一寸時期がずれていたのと午前だったせいで比較的空いていた。こちらも丁度桜が満開で、まるで花見墓参であった。あたりを見ると殆どのお墓には花が活けてあり、ごくわずかのお墓には花がなく、淋しそうであった。我が家では孫たちが墓掃除をしてくれた。

 午後は再び読書に集中した。鳥居民著「反日で生きのびる中国−江沢民の戦争−」という図書で、今年の2月27日発行のものである。江沢民が愛国主義教育と称して反日教育をやっていることは知っていたが、なぜ日本を敵視するのか、その由来がかかれている。簡単に言えば、ケ小平の改革開放以来、共産党が君臨する意味がなくなってきており、そこで日本を悪者にして民衆の不満のはけ口にし、それにより江沢民がのうのうとしていられるというわけである。だから靖国神社の参拝でもめるのもその一環である。かつては胡耀邦のような親日的な立派な人もいたが、保守的な元老に倒され、それが元で天安門事件が起きたのであるが、今や愛国主義教育により、若者を洗脳しているので、その悪影響は今後相当続くものと思われる。





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